無理なダイエットはもうおしまい!

ダイエット、無茶食い、過食、食べる事に悩みを抱える方のためのブログ

笑顔になるための具体的な方法論①

笑顔が苦痛って人

笑顔になりたくてもなれない人

 

赤ちゃんが「にこーっ」って笑うと勝手に笑顔になる。

自然に笑顔になれるのがベストだとしても

中々笑顔になれないってことなら

 

単に笑顔に慣れていないだけ

そんなわけで「笑顔のトレーニング」のご紹介

 

 

笑顔作りの訓練の仕方

 

朝起きた時、夜寝る前、一日に二度鏡に自分の顔を写して、

もっとも良いと思える笑顔が出るように工夫します。

最高と思える笑顔が作り出せたら、そのままその表情を3分間維持させます。

この訓練を三ヶ月、毎日続けて下さい。

その後は、この笑顔が自分の笑顔として定着します。

 

 

もっとも良いと思える笑顔が

日に日に出てくるって面白くないですか?

 

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弱みを出していくことにしました

弱みを出していくことにしました。

 

無茶食い的な行動をしていたことを

親に話したことがありましたが

 

「今更、、、」という感情が湧きました。

・今更お母さんに甘えたい訳じゃないなぁ

・今更「あなたが一番大事よ」って言われてもなぁ

(そう言ってくれることはとっても嬉しいかったですが。)

 

そして、この人を悲しませたらあかんねんな。

やっぱりこの人の話を聞いてあげようと

 

切り替わりました。

 

私の場合は親に言ったところで、

根本の問題は『私自身の捉え方』なので

親は関係ないのです。

 

それでもやはりありがたいのは、

その時に、話を聞いてくれて良かったという存在への感謝です。

 

 

自分が今親となって

常に悩みや不安があります。

 

この言葉がけて良かったのだろうか?

もっとやる気を引き伸ばしてあげられないのだろうか?

この教育環境でいいのだろうか?

 

毎日尽きません。

 

だから

今まだ成長過程の子どもたちに

 

私が幼い頃に言って欲しかった言葉をできる限り

言うことにしました。

 

「大丈夫」

「さすが!」

「大好きよ」

「今日どんないいことがあった?」

 

疑う言葉より

「いいね!」という共感と肯定

 

しつけやルールを教えられる基礎を持つかどうかという

人間性にどうにもアラが目立つので(笑)

そう言った社会性は他の人にお願いすることにして

 

まずは「大丈夫。」からのスタートです。

 

素直になれないことが問題

自分の心の動きっていうのは、

自分のことながら「訳がわらからん!」となることがあります。

 

わーっ!となってみたり

いーっ!となってみたり

ウジウジ星人になってみたり

チーンっと沈み込んでみたり

 

ただ、なんだかこれは表面的な部分で

子供っぽいというか

かまってちゃんの暴走というか

「成長過程で満たされなかった欲求」とかいうものぐらいで

 

もっともっと単純にシンプルに

 

わぁ面白い!素敵!と心が動くことに

出会っていけばいいや

見つけられる心でいようと思ったのでした。

 

 

母性の役割

 

母親の役割じゃなくて

 

これが「母性」かな?って思ったお話。

 

 

 

子どもが見ていて欲しい時に見ていてくれている

一緒にいて欲しい時に一緒にいること、と

 

 

大雑把に言うとそうなんだけど

 

 

心のすき間や

感情のすき間

 

その人本人が

 

見ないようにする時

感じないようにする時

その存在の否定をしようとする時

心に蓋をしようとする時に

 

そばにいてあげられる役割が『母性』の一つなんじゃないかな。

 

それは

ほんの「ふとした」瞬間で

 

その本人さえも気がつかないで済まされることもある。

 

『隠さなくていいよ』

『隠してもいいよ』

両方、いいよの視点

 

いつもいつもじゃない

ほんの一瞬のこと

 

心の大切な場所で

「あ、大丈夫なんだ。」って思える部分

 

 

 

ほんの少しスマホから目を上げて

ほんの少し家事の手を止めて

ほんの少し頭を休めたら

 

目の前の子どもが「ねえーっ」って

 

ははは!ごめんごめん!

 

安心感が欲しいヒトヘ

安心感はヒトにとって必要なものだと思います。

 

ここに居ていいという思いや

自分の意見を言っても大丈夫という環境や

リラックスできる状況や

自分の事を信じられるためにも

 

安心できる事はとても大事な事。

 

とはいえ、

環境によって

安心の得られない気持ちや

ありのままの自分では認めてもらえない経験があって

 

何か心に虚しさがある人は

 

自分以外のモノや他人に、

その安心を求めてしまいがち。

 

幼少の頃の本当に欲しかった気持ちを

他のモノや人で穴埋めしようとする心の動き

 

過食もその穴埋め方法の一つですね

 

カウンセリングや占いや

スピリチュアルと呼ばれる方法で解決しようと試みて

一時的に良くなっても

また元の状態に戻ってしまう

 

心の不安定さで押しつぶされそうになっている

 

「ただ気持ちを落ち着けたい。。。」と心から望んでいるのに、、、

 

そんなヒトに。

 

 

実は

 

本当の安心感は自分で作り出すんですね。

 

そして、

 

実は心に安心感はいらないくらいです。

 

不安定さとネガティブだらけで構わない

「イッパイイッパイ」で構いません。

発狂していても正解です。

 

ですが、安心感は必要です。

 

どこに必要か、というと

 

『カラダに』です。

 

(そんなことかよ、と言わないで下さいよ。)

 

あえて、心とカラダを切り分けます

スパッと。

 

そして機械的

ただ歩く

ただ背伸びする

ただ床に寝そべってみる

ただ足の指を曲げてみる

 

それも出来ない位面倒臭いくらいなら

 

ただ「自分のカラダがある。」と

声に出して言うだけでも良い。

 

安心感は

あなたがあなたのカラダに与えてください。

 

カラダを安心させてあげて下さい。

 

できるなら、

カラダを動かす習慣をつけれた方がいいですが

 

まずは

安心感は心ではなく

カラダに与えるものと知っておいて下さいね。

 

 

じゃあ、どうやって?は次に書きます。

 

 

ダイエット中のハーゲンダッツアイスクリーム

アイスクリームって色々ありますね。

今日は
色々なアイスクリームを食べる機会に恵まれました。

で、結局の所
一番満足できたのは

ダイエット中食べてはいけない!と心が苦しく我慢しまくったりして
他の所にストレスのネガティブなはけ口が向かうのであれば

『本当にこれを食べたら太るぅ〜。』という
ものの中で
一番最高級のものを食べて気持ちを落ち着かせる位の方がいいですね。

ハーゲンダッツのアイスクリームを食べた!」時の
私の心も体も満足する感じが
他のラクトアイス系を食べた時との感覚と
多いに違ったのです。

これは私だけでは無いはず。


ダイエットにストレスがかかることは悪い事ではないのですが
ネガティブな気持ちがどうしてもぬぐいきれない時は

中途半端にダイエット系のおやつで紛らわせるより
リッチなスイーツを心ゆくまで味わった方が

身も心もリフレッシュされます。
これは本当でした。

ハーゲンダッツが味方になってくれるなんて
最高のダイエットでしょ。

過食や無茶食い症について私なりに気がついた事


私、過食なのか無茶食いと言われる症状なのか名称はわからないけど


「食べる事」に悩んだりしていました。


痩せたい

きれいになりたい

素敵な服を着たい


そんな願望はありましたが


たぶん 

高校生くらいの頃、バイトをしたお金で

ドーナツ10個を

泣きながら詰め込んで食べた記憶があります。


それ以降、会社員時代にもちょこちょこ一度に食べこむことがあったけど


結構酷くなったのは、結婚してからかなーと思います。


深夜にわざわざコンビニに走ったことも何度もあるし、

その費用が家計を圧迫した事もある。


『食べ出すと止まらないよね。』

と、同じように悩んでいる人に言います(笑)


ある一種のトランス状態で

その状態になると“どうしようもない”と感じてしまう。


ある一定のレベルまできてやっと止められる。どうにか止まると言えるかな。


後は

自己嫌悪・自己否定の嵐だったりで

食べ疲れて寝る


次の日の自分を見て嫌になったりはすりけどなんとか誤魔化して、やり過ごす。


かと思えば

一切食べない日々を作ったりして

どうにかコントロールの様なものする繰り返し。


暴食と断食の数年間


その間に、これは

グルコーススパイク(血糖値の乱高下)なんだとわかったり

食べ順をためしてみたり

ファスティングしてみたり

下剤使ったり 

エネマしてみたり

糖質制限

MEC食 

噛む回数を数えたり

噛む時間を砂時計で計ったり

「味わうんだー。」と食材を吟味しまくったり


色々と試してみて、もがきまくっていました。



「食べる事」との戦い

自分一人なら食べない事もできるけど

家族が出来てから、子どもには毎食やおやつを用意する。


その間私の心の声は


「食べたくない」

「食べたい」

「食べない様にしないと」

「食べなきゃやってられない」

「今少しだけ」

「ガマンガマン」


と数時間毎に葛藤してばかり


「食べない様に」と戦った末『もうどうでもいい』と暴発することも多々ありました。


毎日毎日食べることから逃れられない事に、もうどうしていいかわからない!という精神状態。



意志が弱いから?


食べずに居られる人からすれば

どうしてそんなに食べるの?

弱いからでしょ?


ただでさえ、自己否定癖のある人間には

他人からのその一言でより一層自己否定する悪循環になったこともあります。



過食をするのは「満たされない」から?


カウンセリングなどのサイトを見ていると

過去、親からの肯定や信頼を築き上げられなかったから

自信なさからや

ヒマだからや

他にストレスを解消する方法を知らないから

とあったりします。


私が感じていたのも

「虚しさ」や「空っぽ感」「虚無感」「こんなんじゃだめ!ちゃんとしなきゃ!」


「こんな風に食べたくって食べてる訳じゃない!

普通の人みたいに楽しんで味わって食べれたらどれだけ良いことか!!!」


そんなのでした。



「もう無理に食べない!」

「もう過食は終わったんだ!」と決断しても

何度もそれを打ち負かす様な大小の波がありました。



そんな所で、今日やっとやっと気づいたことを、書こうと思います。


こうやって「満たされなさ」を埋めるための行為が

反対に「満たされなさ」を作り出しているんだなとやっとわかりました。



「『空虚感』『虚しさ』は埋めなきゃならないんだ。」


「満たさなければならないんだ。」


と無意識のうちに考えていた事に気がつきました。


つまり、


『空虚感も虚しさも満たされなさもどうしようもなさも、全てあって良い』ってこと、

わざわざ、『埋めなくていい』ってこと。


過食や無茶食いすることで、

「埋めなければならない何か」を作り出していたってこと。


「埋めなければならないもの」なんて何もないってこと。


誰かのための自分じゃなくてもう良い。

「誰かが決めた基準」に合わなくて良いんです。

そのまんま、ベコベコの凹んだままの自分で良いって事、なんですね。



もし今現在、過食や無茶食いで悩む人に。

つたない文章でわかりにくいかもしれませんが、これを読んで少しは気持ちが楽になって貰えたら良いなと思いました。


今泣きながら苦しいのに食べている人がいたとしても、過食や無茶食いは、本当にその人だけのペースで、じっくりじんわりいつの間にか無くなっていくものだと思います。


本当に私もマイペースに終わっていきましたね〜。