「信頼」という繋がり 私の根っこもきっとここの部分
「なぜ食べ続けてしまうのだろう?」
この疑問文は
過食する自分自身を責めている場合にはしてはならない疑問文です。
なぜ?なぜ?と問い続けている限り
より意識が過食を強化するフォーカスするようになるからです。
過食する自分しか見えなくなってしまいます。
ですが過食というものを
もう少し大きな視点で捉えてみると「依存」や「中毒症状」と
捉えることもできます。
自分自身を責めているという状態から脱することができ
自分自身が見えていなかった部分を捉え直そうと
気持ちが向いた人には
「なぜ?」という疑問文は解決への糸口になるかもしれません。
この書籍とTEDでは
その症状が現れるの根本的なところを表してくれているようにも思います。
(書籍は薬物などの依存症の症例など多数書いてあります、
気持ちが安定している時に読まれることをお勧めします。)
(また過食をしている家族がいる場合、どのように支援をすれがいいのかも書いてあるのでお勧めします。)
“それら「物」や「行動」のアディクションに頼れば、我慢が限界に達した時、不安や疲労感、イライラ感や怒りといった我慢に伴うさまざまな負の感情は瞬時に「放流」され「人」に一切頼ることなく、安心感や解放感、高揚感を体験することができる。
そうして心が楽になったアディクトたちは、自分が普段我慢して隠している本音や負の感情を周囲の人々に気づかれることなく、表面的には元気で明るく真面目な「ふり」をして、再び「人」のいる「我慢の戦場」へと踏み出すことができるようになるのだ”
あなただけでなく、世界中の人が同じ悩みを抱えていて
解決の糸口は「ある」ということを教えてくれています。
(日本語訳を表示する方法は
パソコンから開き
画面右下のsubtitle controlから日本語を選択してください。)
もう一度書籍から
“私たちはもはや地縁・血縁社会に逆戻りすることはできない。
しかし、私たちが物に頼っていい部分と人に頼るべき部分との分岐点を見極め、便利さと不便さの均衡が取れ、自分と他者の心理的孤独に気づくことができる社会の新しいあり方を目指すことは、不可能ではないはずである”