過食無茶食いについて私なりに分かったこと②
知らず知らずのうちに
山盛り食べていたことから
日常の取り繕っていた部分がだんだん厳しくなってきて
取り繕えなくなってきたからこそ
わかることもあります
そんなことで簡単に図解してみました
これが当てはまる人がいるかどうかはわかりませんが
私の場合はこんな感じでした
心が荒れていても
必ずその波の下があります
何かのきっかけで
「私」の部分を否定したため
見えなくなってしまったけれど
必ずある部分
深められる部分がどんどん濃くなれば
「とりつくろう」必要もなくなってくる
今、目の前が日常で見えなくなって荒波にもまれていても
世界はそれだけじゃ終わらせてくれない
もっと静かな「面白い部分」を残してくれている
必ずある部分