あ、そうなんだの blog

思った事、気がついた事、言いたい事を書くブログです

過食や無茶食い症について私なりに気がついた事


私、過食なのか無茶食いと言われる症状なのか名称はわからないけど


「食べる事」に悩んだりしていました。


痩せたい

きれいになりたい

素敵な服を着たい


そんな願望はありましたが


たぶん 

高校生くらいの頃、バイトをしたお金で

ドーナツ10個を

泣きながら詰め込んで食べた記憶があります。


それ以降、会社員時代にもちょこちょこ一度に食べこむことがあったけど


結構酷くなったのは、結婚してからかなーと思います。


深夜にわざわざコンビニに走ったことも何度もあるし、

その費用が家計を圧迫した事もある。


『食べ出すと止まらないよね。』

と、同じように悩んでいる人に言います(笑)


ある一種のトランス状態で

その状態になると“どうしようもない”と感じてしまう。


ある一定のレベルまできてやっと止められる。どうにか止まると言えるかな。


後は

自己嫌悪・自己否定の嵐だったりで

食べ疲れて寝る


次の日の自分を見て嫌になったりはすりけどなんとか誤魔化して、やり過ごす。


かと思えば

一切食べない日々を作ったりして

どうにかコントロールの様なものする繰り返し。


暴食と断食の数年間


その間に、これは

グルコーススパイク(血糖値の乱高下)なんだとわかったり

食べ順をためしてみたり

ファスティングしてみたり

下剤使ったり 

エネマしてみたり

糖質制限

MEC食 

噛む回数を数えたり

噛む時間を砂時計で計ったり

「味わうんだー。」と食材を吟味しまくったり


色々と試してみて、もがきまくっていました。



「食べる事」との戦い

自分一人なら食べない事もできるけど

家族が出来てから、子どもには毎食やおやつを用意する。


その間私の心の声は


「食べたくない」

「食べたい」

「食べない様にしないと」

「食べなきゃやってられない」

「今少しだけ」

「ガマンガマン」


と数時間毎に葛藤してばかり


「食べない様に」と戦った末『もうどうでもいい』と暴発することも多々ありました。


毎日毎日食べることから逃れられない事に、もうどうしていいかわからない!という精神状態。



意志が弱いから?


食べずに居られる人からすれば

どうしてそんなに食べるの?

弱いからでしょ?


ただでさえ、自己否定癖のある人間には

他人からのその一言でより一層自己否定する悪循環になったこともあります。



過食をするのは「満たされない」から?


カウンセリングなどのサイトを見ていると

過去、親からの肯定や信頼を築き上げられなかったから

自信なさからや

ヒマだからや

他にストレスを解消する方法を知らないから

とあったりします。


私が感じていたのも

「虚しさ」や「空っぽ感」「虚無感」「こんなんじゃだめ!ちゃんとしなきゃ!」


「こんな風に食べたくって食べてる訳じゃない!

普通の人みたいに楽しんで味わって食べれたらどれだけ良いことか!!!」


そんなのでした。



「もう無理に食べない!」

「もう過食は終わったんだ!」と決断しても

何度もそれを打ち負かす様な大小の波がありました。



そんな所で、今日やっとやっと気づいたことを、書こうと思います。


こうやって「満たされなさ」を埋めるための行為が

反対に「満たされなさ」を作り出しているんだなとやっとわかりました。



「『空虚感』『虚しさ』は埋めなきゃならないんだ。」


「満たさなければならないんだ。」


と無意識のうちに考えていた事に気がつきました。


つまり、


『空虚感も虚しさも満たされなさもどうしようもなさも、全てあって良い』ってこと、

わざわざ、『埋めなくていい』ってこと。


過食や無茶食いすることで、

「埋めなければならない何か」を作り出していたってこと。


「埋めなければならないもの」なんて何もないってこと。


誰かのための自分じゃなくてもう良い。

「誰かが決めた基準」に合わなくて良いんです。

そのまんま、ベコベコの凹んだままの自分で良いって事、なんですね。



もし今現在、過食や無茶食いで悩む人に。

つたない文章でわかりにくいかもしれませんが、これを読んで少しは気持ちが楽になって貰えたら良いなと思いました。


今泣きながら苦しいのに食べている人がいたとしても、過食や無茶食いは、本当にその人だけのペースで、じっくりじんわりいつの間にか無くなっていくものだと思います。


本当に私もマイペースに終わっていきましたね〜。

尊敬し信頼できる男性ばかり


私の周りの男性は


尊敬できる人ばかりで自分でも驚く。



彼らの思いもつかないような事

大きな世界で捉えられる目

力強さと行動力

繊細さと知能の高さと

挙げればキリがないのだけれど。



今たとえ、


悲しみや苦しみに落ち込んでいても


エロと金が大好きだと叫んでいても


仕事に忙殺さてれ今がいつなのかわからなくても



元々持つ「男である力」は計り知れない事を、もっと男の人には知って欲しいと思う。



「あなたは本当に凄い人だなぁ。」


私は尊敬してばかりです。


これからの異世界に住む子ども達をどう育てるか


母親は


いかに子どもの、俗に言う『自己肯定感』を、

いかに『自分自身を信じられる力』を育ててやれるかが


とかく大事なんじゃないかなと


最近、特に特に思えてきた。



学校・社会・家庭から逸脱する

周りからつまはじきにされる

閉塞感や疎外感


周りとうまく合わせられない子が当たり前のように増えてくる。


それはなぜか。


「周りとうまく合わせる」が過去の産物だから。

あくまで今までの習慣。

それでコレマデハナントカやってこれただけの事だからだ。


その制度でのほころびというか

時代の流れにそぐわなくなってきたんだな、と感じる事が節々と出てきてしまった。



コレマデドオリ

ミンナト合ワセマショウ


と仕掛けてくる風潮


それは〇〇障害

これは〇〇障害と

赤の他人の勝手な偏見が見え隠れする世間体



これからどう一人一人の子ども達が生きていくのか。

とんでもない異世界を作り出そうとする子ども達の創造性。



それをどれだけ認めてやれるか。

どんな風に羽を広げさせるか。

どれだけ新しい眼差しでみてやれるか。



今私たち母親が育ってきたパターン

成功してきたパターンをも否定する場合も存分にあるだろう。

 

そんな中で一人一人の力をどう観てやれるか。


ある意味、世間とは逸れたからこそ

良かったと言える所もあるのかもしれない。


“子ども”としてではなく、一人の人間(又はそれ以上のもの)として接していける母親の自由さがある。


もう私たちが

『世間という眼差しで子育てをしなくて良い』という楽しさが広がっている。



ただただもう

その人そのものを、ただもう一人の人が認めていく


その事が何よりも次の創造性へ繋がって行く。

本当に楽しい事だ。


抑え付けていたものを外す

制限するってどういうことだったか。

 

  • 本を読んじゃダメ
  • 可愛い格好したらダメ
  • 楽しんだらダメ
  • 感情を出したらダメ
  • 欲しいもの買っちゃダメ
  • やりたいことやっちゃダメ

これ↑過去の私でした。

 

ジーパンにTシャツという普段着にオシャレなアクセサリーをつけた途端

バカみたいに大泣きしてしまった昨日。

 

『どうやら私はオシャレをしたかったらしい・・・』(ぶえ〜ん(涙))

 

俗にいう、感情を押し殺していたタイプというのかな。

 

  • 「え!たかだかそんなこと!?」という抑制力が実は・・・

 

自分自身が頭の中で話す言葉で

 

「そんな華美なもの必要ないわ。」と思ったものがある。

 

 「私には別にこれで良いもん!」と不本意なものを持ったこともある。

 

でもこれは地味に、ジワリジワリと自分の気持ちを抑え付けていた作用があった。

「自分はこんなものでいい。」と妙な納得を自らに促していた。

 

  • 純粋な気持ちを持ってはいけない?

 

「私が我慢すれば、、、」

 「妙に遠慮したかも。。。」

 

思い当たるところがある。

 

純粋に楽しんだり、嬉しかったりする感情さえも我慢し遠慮し

いつのまにかどう感じているのか、わからなくなったことがある。

 

  • なぜそう思うようになったのかは、必要ないので考えない

 

単純に言えば、親連中の影響でしかないだろうな。

ここに問題意識を向けるとそこにばかりフォーカスしてしまう。

 

「ま、そういうもんだ。」

 

  • ほんの小さなことから、気づき変えていくこと

 

心のどこかで違和感が出てくること、一つがわかると敏感になってくる。

 

大人になってわかった、大人も子どもみたいに泣いてもヨシ!なのだ。

 

気になった小さなことにも新しい見方を加えよう。

 

ちゃんと欲しいものは手に入れよう。

 

ジワリジワリと抑え付けていたなら

ジワリジワリと着実に望む事を見つけ叶えていけばいいや。

 

なんの日でもない日常の時に

昨日と同じままに過ごすのではなくて

大量に解放された自分で過ごす。

 

 それでいいや。

心を解き放つ

自分がある

心がある

自我がある

感じる感情があって

感じる五感があって

自分がある

 

それって本当?

 

今食べているものも

今目の前にあるノートも

今これを書いているパソコンも

 

誰かが考えて誰かが作って誰かが運んできて

その誰かにはお父さんやお母さんがいて

その人も同じように何かを食べ、何かを書き、何かを見ている

その人が見ているそのものも・・・

 

無限に続くネットワーク

それは今という時間に、今までの繋がり

これから作られる繋がりも全部が詰まっている

 

あくまで今これを書いている私は

その網目の一つの点に過ぎない

 

単なる点?

だったらどうだっていいじゃない!!!

 

いやいや

 

残念ながらそういう訳にもいかないみたい

 

え、わかんない

うん、わかんない

 

「ナ・ン・デ・ヤ・ネ・ン!」

 

そう叫びたくなる。

でも、過去にもあったじゃない、そんなこと。

大したことないよ。

 

 

今そうだとしても、わかってくるさ。

 もっと深くいろんなことが。

 

「みよ目をひらき。」

「アップルパイよ!えいえんに!」 

 

 

ともだちつれてよろしいですか

ともだちつれてよろしいですか

  • 作者: ベアトリス・シェンク・ドレーニエ,ベニモントレソール,Beatrice Schenk de Regniers,Beni Montresor,わたなべしげお
  • 出版社/メーカー: 童話館出版
  • 発売日: 2003/10/01
  • メディア: 大型本
  • この商品を含むブログ (12件) を見る
 

 

あ、そういえば「子育て」やめてたんだ。

 

今朝、昨晩の台所の洗い物と畳まれていない洗濯物の山と

髪の毛と埃の落ちた階段を眺めながら思った。

 

あ、「子育て」やめてたんだ。

 

子供が朝に着る服がない〜と叫ぶ。

私は面倒だな〜、と思いつつ子供箪笥を見ると

一枚だけ入っていた。

 

「あるや〜ん。」

 

私の心の中は、「ああ、助かった。」とちょっとホッとする。

 

 

 子ども「朝ごはん何〜?」

 

炊いた米しかない、味噌汁も作ってない。

野菜を切るのも面倒だ。

 

ホットケーキの素があったので、久しぶりに焼いてみた。

子供の一人はバター、もう一人はハチミツ。

 

米粉ホットケーキミックス粉だから、私の中の「子供に食べさせるもの基準」を70%は満たしてる。

 

子どもは普通に学校に行った。

 

洗い物の山を見ても、気持ちは落ち着いている。

 

だって今日は私の予定が特にないもの。

 

 

時間に追い込まれる日々に

スケジュール一杯の毎日に

「こうしなきゃいけない」こと辞めてみてる

「こうした方がいい」「こうすべきだ」ということもあえてしない

 

 

 

  •  いつ頃だったかな「子育て」辞め始めたのは 

 

確か一年くらい前、まだ下の子が年長の時

 

周りの人たちの「頭の良さ」と「こうじゃなきゃオカシイよね」という

同調圧力に疲れてしまった。

 

なんとなく着ている服であったり

親として母としてこうあるべき、であったり

家には「子どものためにこういうものがあるのが当たり前」であったりと

そこで生きるための『素晴らしいルール』があった

 

その場所でのルールに必死に馴染もうとして

時にはそのルールからはみ出した人を「笑い飛ばしたり」

ルール通りにできない自分を必死で攻め立てた

 

 

  • その通りにすることが「子育て」だと思っていた

 

『素晴らしいルール』に乗っ取った子育ては

わが子・自分でさえ、実は期待さえしていないことだった。

やってほしくないことなくらい。

 

「そのルールをこなせる私って素晴らしい!」

「こんなことまでできる私、素晴らしい母親!」

 

と完璧な家事ができたとして、

マニュアル通りの完璧な子どもとの会話ができたとして

 

その時に見えてくるものが

「自分の心の感情」しかなかったら、

その世界に「相手」が居ないことになる

 

「目の前のその子とそのお母さんとの関係」ではなくて

「素晴らしいお母さん!」というその人自身の偶像の中のお母さん

 

私はそんな、『一人完結型完璧お母さん』を目指していたのだ

 

 “洗い物がたまり、洗濯物の山があり、埃と髪の毛の落ちた床”を見て

イライラしまくっていた。

だって、目指すべき「素晴らしいお母さん」からはみ出しているんだから。

 

 

  • 素晴らしいお母さん基準がする「当たり前の家事」を辞めて見てどうなったか

 

家の中は散らかったままだ

 

普通に汚い

 

誰かが手伝ってくれることもない

 

(「私が頑張るのを辞めたら、こんな風に変わりました!」な事は書けない)

 

普通に汚い

 

わかった事は

 

素晴らしいお母さん基準の「当たり前の家事」をやったつもりでいても

実は昔っから「散らかった部屋」のままだったのかもしれない。

 

 

  • 未だ「実験中」であり結論はまだまだ見えないという事

 

毎日子供は成長している

 

たまに「誰だっけ?」と思えるときもある。

 

そんな時は、私の主観で過去「こうだ!と思っていた事」と

今見て「こう変わったかなー?」と感じた事を

伝えたりしている。

 

それが子ども自身にどう届くかは、正直わからない。

 

だけどもう「子育て」辞めてたし(辞めてた事を忘れてた。) 

 今日は今日でこんな感じでいこうと思う。